2018/07/18

本人へ確認のない「誕生日」開示について

 「誕生日」を、本人への確認なくカジュアルに開示する認識、なんとかならんものか。
 「面白みのない奴」と思われても、これは常々思う。

 世間一般では、「生年月日」は本人認証の一要素にされている。
 それの是非についても言いたいことはあるのだが、それはそれでそうなってしまっているのだからしようがない。であるのだから、「誕生日」の開示(あまつさえ本人への確認なく)には慎重であるべきだ。

 「生年月日」は個人情報だが、「誕生日」は単なる「月日」で自ずから個人情報ではない…という意見を開陳しているページも見かけるが、それは詭弁だろ。
 なんとなれば、「誕生日」…つまり「月日」が判明すれば「年」の類推はそれほど難しくない。例えば、外見等から「40歳前後」くらいが判れば、数年の幅を持たせば正解にヒットする。数年…つまり、たったの数パターンだ。
 対して「誕生日」のパターンは 365パターンだ。自ずから重要性は明らかだろう。

 念の為、誕生日を知人縁者へ教える(場合によっては SNS で公開する)ことを論難しているのではなく、「本人への確認なくカジュアルに開示する」ことについて述べている。
 会社で社員間の親睦のために開示するというのも良いだろうが(それはそれで大切で意義あることだが)、当然のように行うのではなく、先立って本人への確認はするべきではないか。